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  • 2013.03.26 Tuesday
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福井前総裁の振返り

日銀前総裁
福井俊彦氏の20年の振返りコメントが
日本経済新聞に掲載されていたので、
切り抜いておく。

「日本はまもなく世界第二の経済大国という
居心地よい地位を去ろうとしている。」

という言葉が胸に刺さる。

2010年8月1日 日本経済新聞
「成功で改革意識育たず」より



『――なぜ日本は「失われた20年」に陥ったのか。


「世界全体の潮流変化が始まったときに、
日本は戦後の成功物語の頂点を極めようとしていた。


中国の改革・開放からベルリンの壁崩壊、
その後の今日にいたる
グローバリゼーションへの潮流変化に即応して
各国は改革を競ったが、
日本は自らをどう改革するか、
容易にそういう考え方に到達しなかった。


プラザ合意の後、
明確な思想の変化を示すものとして
前川リポートが出されたが、
世間では内需転換だけに異様に焦点が当てられた。


構造改革を伴わないまま内需転換を促そうとし、
さらには土地神話、
フローからアセットの時代という掛け声のなかで
資源があらぬ方向に流れ、バブルを生んでしまった」


――バブル崩壊後の対応はどうだったか。
不良債権処理はもたついたのではないか。



「何がバブルで、そのスケールはどれだけ大きく、
壊れたときの経済へのダメージはどれほどか、
残念ながら前もってはっきりとは分かりにくい。


歴史的にみると、幾度かバブルを経験しているが、
そんなに短いインターバルでは起こらないので、
全く同じ経験をした人はいない」


高度成長慣れもあって、
そう遠からず景気は回復するのではないかとの
空気からぬけ出せず、
不良債権処理に伴う苦痛を背負うよりは、
ともすれば先延ばし策が取られがちだった。


金融界は不良債権、
産業界は設備、雇用、借り入れという『過剰』を抱え、
調整がなかなか進まない時期を長く経験した」



「大量の不良債権を一挙に処理する制度も整っていなかった。
不良債権の認知に始まり、
減損、償却、最終的には資本補てん、
そこまでいかないと処理は完結しない。


民間マネーでできなければ、
公的資金注入ということになる。
しかし国民の税金を金融機関に投入することには
ものすごく政治的な抵抗感があった。


1992年8月に最初にリーダーシップを
もっていわれたのは宮沢喜一首相だった」



――宮沢提案には金融界も
産業界もメディアもこぞって反対した。


「とくに強く反発したのは産業界で、
宮沢首相もそれでは仕方がないという顔をされていた。


公的資金を投入しないと
不良債権処理は完結しないわけで、
宮沢提案は正鵠(せいこく)を射ていた」



――しかし、それをすぐに引っ込めたのも宮沢さんらしい。


「財務省にも一気に公的資金にいくことに
ちゅうちょがあったのではないか。
難しいことに、
銀行だけでなく住宅金融専門会社(住専)などの
ノンバンクの不良債権問題も大きく潜んでいた。


ポイントは宮沢提案をやむを得ないと世間が思うほど、
不良債権のディスクロージャーが進んでいなかったことだ




公的資金にアレルギー



――住専問題は公的資金アレルギーを一層強めた。
それも不良債権処理が遅れた1つの理由では。


「今回の世界金融経済危機に際しては、
米国も日本の経験を生かして公的資金をいち早く投入した。


しかし米国でも公的資金を使ったことに対する
アレルギーがその後、非常に強く出ている。
これは万国共通の問題だ」


――この20年のマクロ経済政策をどう位置づけるか。
1997年に消費税率引き上げを含めて
9兆円の負担増を打ち出したことが
景気悪化をもたらしたという見方がある。


「日本は経済にショックが及ぶたびに
財政に負担をかけてきており、それが根雪になっている。


財政の健全性は国民経済の信認の基礎だ。
幸い国民の心の奥底でそういう意識は働き続けている。


1997年もこのまま不健全な財政運営を続けるよりも、
最小限の消費税率引き上げは仕方がないということだった。


その後の景気悪化は不良債権処理が進まず、
公的資金投入の議論も迷走し、
ショックに対する経済の抵抗力が
弱まっていたことによるものだ。


現在までの長い経過をみると、
事あるたびに財政に頼る度合いを強め、
結果的に財政が先進国で最も悪い状態になっている




――ゼロ金利解除を急ぎすぎたのではないか。


「金融政策は期待成長率が
安定的に維持されている状況の下では、
基本に忠実に運営することができる。


しかし期待成長率が著しく低下し、
デフレ現象が起きているような状況の下では、
それを助けるために金融政策が基本から離れ、
丸裸になって対処しなければならないケースもある。


それは分かるけれど、
金融政策を丸裸にするということは、
同時に金利メカニズムを犠牲にするという面で
大きなコストを払うということだ。


つまりゼロ金利とか量的緩和になると、
金利メカニズムの作動が完全に停止し、
生産性の高い分野に資源を回し、
そうでない分野に回るのを抑えるという
メカニズムを完全に封じ込めるという自己矛盾に逢着する」


「私自身、日銀総裁になって量的緩和を大幅に進めたが、
金利メカニズムをいったん全面的に封じ込める
弊害も受け入れざるを得ないことに、
すごく自己矛盾を感じながらやっていた。

この状況を早く脱しなければ、
経済は根っこのところでかえって不健全化する」


「多分、速水総裁も同じ気持ちだったはずだ。
円の信認にすごく信念をお持ちだったので、
私以上に悩んでおられたかもしれない」


――福井総裁時代のデフレとの戦いは、
的を射ていたと思うが。


「市場のメカニズムをフルに活用するという、
私の基本哲学とは違うやり方を敢えて続けた。

最後の方で少し修正することができたが、
まだまだ我慢を要する状態だった」



民間企業の力を生かせ

――金融危機が収束した後も
日本が立ち直れなかったのには、
少子高齢化などの構造問題があるのではないか。


「不良債権問題に人々の関心が引き寄せられている間に、
その背後でデモグラフィーの変化が始まった。


労働力人口のピークは1995年で、
2004年をピークに総人口も減り始める。


人口減少に対処しながら成長を上げていくには、
グローバル経済とIT革命の流れにきちんと自分を適合させ、
他国よりも高い生産性を実現しなければならない。


不良債権処理に追われながら、
実は1995年以降、
新たに非常に大きな宿題を担うことになった」


――どうすれば長期停滞から脱却できるか。

 
「政治が早く安定して
成長戦略や構造改革路線を
確立することが必要といわれている。


その通りだが、私は民間がやるべきことも山ほどあると思っている」


「失われた20年といわれる中にあっても、
民間の産業界では技術や知識創造を進展させる力を培ってきている。

これからは地球環境問題への対処の面でも
これを活かす機会に恵まれている。

加えて日本は高成長を続けるアジアの中に位置しており、
事業展開の舞台は広い。


最先端の技術や知識を市場のニーズに合わせて製品にうまく一体化し、
アジア全域にわたるビジネスネットワークを動態的に再編成する。

金融面でも日本とアジアの貯蓄を活用して
機能と規律の高い金融資本市場を形成し、
実体経済活動を背後から強力にバックアップする」


日本はまもなく世界第二の経済大国という
居心地よい地位を去ろうとしている。


次の競争ステージで、
気概をもって新しい生存競争を
勝ち抜いていかなければならない」

(聞き手は本社コラムニスト 岡部直明)



福井前総裁の有り難い言葉の後に
漫画に関するコメントで申し訳ない気もするが、
「DAWN」の中にあった台詞が、
失われた20年を説明する中で、
分かりやすかったので、ここで抜粋すると



『バブルは弾けたが・・・

景気は1〜2年で回復すると
あの時点では誰もが思っていた・・
信じていた。


景気さえ回復すれば、土地は値上がりする。


そうすれば担保能力、
含み資産の価値が上昇して
再び資金調達は可能になる
・・・そう読んで・・・


だが・・不況は長引いた・・・

この10年以上に渡る不況は、
当初はバブル崩壊によるものだといわれていた・・・


ところが、この不況が長引くにつれ、
そうではないと分かってきた・・・


つまり1990年以降の不況は、
ソ連が崩壊したことに始まる、
世界経済の還流メカニズムの崩壊によるもの
だったと気がついたのだ。


バブル崩壊から5年も6年も経ってようやく・・・


第二次世界大戦以後の経済は、
アメリカ、ソ連という
二大強国の東西対立の構図の上で回っていた・・・


互いに軍事優先・・・


軍産複合体によって国の経済を回し、
それが世界経済を回した・・・


だが、91年・・・


ソ連が崩壊し、
この経済還流のシステムが崩れた・・・

世界経済は、次の新たな経済還流のシステムを築くまで、
不況の時代へと突入したのだ。』
(『DAWN』 作・倉科遼 画・ナカタニD. 5巻より)


今後の世界経済の流れは、
新興国の生活水準の向上に伴い、
インフラをはじめとした生活設備を調達するため、
どのように金が回るのかという問題。


軍需中心の還流が弱まる中、
IT、金融によって、
グローバルに展開する
凄まじいまでの還流を作り上げた米国だが、

今回のリーマンショックにより、
その還流に陰りが見えた。

むしろ、お金自体が、
金融に流れるよりも、
新興国に流れることを選んだため、
リーマンショックのようなことが
起こったような気がする。



新興国側からすれば、
原材料を押さえられているのなら、
原材料販売で得た資金で技術を他国から引き寄せ、
生産力を高めていくことを考える。

生活インフラの構築については、
海外勢が国内に入る障壁を高くし、
国内で金が回りやすい状況を構築するはず。


日本が期待する環境関連インフラの輸出は、
中長期的には、美味しい部分なので、
導入期に海外資本の力を借りることはあるが、
新興国の国内企業が海外企業にその商圏を譲るとは
考えがたい。


日本の立ち位置としては、
戦後、米国文化を積極的に取り入れ、
米国の属国のような立ち位置になったように、

中国との積極的な文化的な融合を推し進めることが、
遠回りだが、日本経済浮上の鍵になるのでは
ないだろうか。



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