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  • 2013.03.26 Tuesday
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海岸線が無限に長いこと

なんとなく生活していると、
身の周りのモノには
それぞれ大きさがあって、

2つのモノの長さの違いは、
比べてみれば、
自ずと分かると考えてしまう。

しかし、
よくよく考えてみると、
実は世界はそんな風にはできていなく、
長さは相対的なものであることに
気付く。

以下、
「イギリスの海岸線は無限に長い」
より、


 『この厄介なシステムの研究にとって
さらに独特な要素の一つが、
数学者のブノワ・マンデルブロによって指摘された。


当時たまたまIBM社の
「自分が好きなことを研究する」
研究開発班に所属していたマンデルブロは、


通常はカオス的で不規則な自然過程であると
考えられているもののなかに
パターンと構造を発見しようと努めていた。

これは当然大部分の科学者がやっていたことだが、
マンデルブロが根本的に他と違っていたのは、
遠近感への彼の接近法だった。


「対象物の大きさとはなんだろう?」。


マンデルブロは自問してこう答える。


「それは君と対象物との距離に依存する」と。

大変遠距離から見ると、
対象物は一点でしかない。

一メートルの距離からだと、
対象物の占める空間は容易に輪郭をはっきりできる。


しかし、さらにどんどん対象物に接近するにしたがって、
領域を測定する課題はますます面倒になる。


対象物の表面が乱雑で、不規則で、
そして起伏があることがはっきりする。


縮尺の違う地図で国境線の延長を調べようと思ったとき、
マンデルブロにとってこの問題は明らかなものになった。


彼は「イギリスの海岸線の延長は?」
というきわめて単純な質問をしてみた。


「百科事典でみれば数字が出ているよ」
という標準的な反応は、
マンデルブロには満足できないものだった。


彼の主張はこうだ。


「イギリスの海岸線は、
いやこの問題ではどこの海岸線だって同じだが、
無限に長い。

決め手はどれだけ近づいて観察するかだ。

最小の湾の内部にもっと小さい湾を発見できるし、
入り江のなかにまた入り江があるというわけで、
海岸線の総延長は永久に増大していく」


・・・・・


マンデルブロの方法に独特な要素は、
きっちりと分化された境界内で
現象を部分的に研究しようとはしなかったことである


(学問領域が違えば、根底にある現象が同じであっても、
たとえば、化学者は原子物理学者の領域に
くちばしを差しはさむことは
許されていないのが普通なのだが)。


彼が求めたのは、
全体構造をそれが作り出す分岐との関連で
理解することだった。

同じようにして、
私たちはさざ波(ripples)を
「小さい波(small waves)」
としてとらえる見方を選択することができる。

つまり、風が原因となって作り出される
再帰構造全体のなかの点としてとらえるのである。


それでは、潮の満干はどうか?


これもまたフラクタル現象が原因だろうか?


表面的にはそう見えるだろうが、
実際には月の重力による索引が原因であることを、
私たちはすでに知っている
(すなわちフラクタル現象が原因ではない)。


重要な点はこうである。


私たちは定期的に、
いろいろ異なった段階で
繰り返し発生する経済や金融の現象を見出す。


今後本書でもこのような現象の
いくつかに遭遇することになろう。
しかしときどきは、
一見フラクタルであるように見えながら、
実は満ち潮と波のように相互に
無関係の現象を見出すこともあるだろう。
景気循環はその例である。』

(「相場の心理学」 ラース・トゥヴェーデ p72−74)




長さは無限であるというよりも
長さは人間の感覚にとって
相対的であるということ、

また、色とか味とか音とか
人によって、
かなり細かく分類できる人がいたり、
おおまかな分類しかできない人がいたりする。


けれど、私たちが日常暮らしていく中で、
目の前にいる他人は、

自分と同じモノを見て、

同じ音を聞いて、

同じ香りを嗅いでいるという

錯覚を持ってしまう。

そんなものは、幻想だ。




もう一つの論点としては、

色を見分ける精度が高い人は、
白と黒が違うように、
青をいくつもの種類に分類する。

味についても、
1つの味を二つ以上に分類できる人が
いるのだろう。


個々人感じるものは違うはずだが、
その感じ方の根本、
何かと何かを比較しているという
方法論は同じであるということ。



要は、
分類パターンは同じであるが、
感じているものは違う。

海岸線の長さを
1mだと考える人も
20mだと考える人も、
長さを測るという行為においては同じ。


人間に起こりうる事象についても、
人それぞれ、いろいろ考えることはありかもしれないが、
考え方のパターン、
考え方のあり方には、
一定のパターンがあるのかもしれない。


とりあえず、易経について、いろいろ書いていくこのコラム。

64の卦は、
一定のパターンを代表するものであれば、
大きなことから、
小さなことまで、
何かの示唆が得られるのかもしれない。


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  • 2013.03.26 Tuesday
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  • 22:50
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